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幕末に来日した外国人がみた、「幸福な日本人」!

幕末に来日した外国人がみた、「幸福な日本人」!


生き方に迷ったときは、
 自分の原点を見つめなおす
と良いと言われることがあります。
 
その意味合いは、
 先祖
 生まれ育った環境
 家族
 親戚
といったことがらを、静かにふりかえることで、これからのことも、落ち着いて考えることができるということです。
 
では、われわれのご先祖様は、
 どんな暮らし、生き方
をしていたのでしょうか。
 
なんとなくイメージはできますが、昨今のテレビ、新聞などのマスコミや一部の書籍などでは、例えば、
 明治維新の開国までは、鎖国状態で、文化が遅れていた?
といった論調もあり、情報にバイアス(かたより)があるような気がします。
 
そんなときに、
 幕末に訪れた外国人の残した文献
を読むと、一次情報として、かなり正確な状況がわかります。
 
結論からいうと、それらの文献では、当時の外国人から見て、
 日本は、とても魅力的で、素晴らしい国
ということ、
また、そこに暮らすひとびとも、
 礼儀正しい
だけではなく、
 幸福な表情をした、陽気な人たち
ということが書かれています。
 
その内容を見ていきましょう。
 

幕末に来日した西欧人の著作をまとめた、渡辺京二氏の「逝きし世の面影」という名著



幕末に来日した西欧人の著作をまとめた、
 渡辺京二氏の「逝きし世の面影」という名著
があります。
 
そこには、
 ウォルター・ウェストン 「知られざる日本を旅して」(新人物往来社)
 モース 「日本その日その日」(講談社学術文庫)
 ラインホルド・ヴェルナー 「エルベ号艦長幕末記」(新人物往来社)
 ラザフォード・オールコック 「大君の都」(岩波文庫)
 ベルク 「オイレンブルク日本遠征記」雄松堂書店
といった幕末に来日した西欧人の記述をもとに、当時の日本の生活の様子、文化、自然などがまとめられています。
 
では、どのような記述がなされているのでしょうか。
その一部を見てみましょう。
 
ヘンリー・S・パーマー
「誰の顔にも、陽気な性格の特徴である幸福感、満足感、そして、機嫌のよさがありありと現れていて、その場所の雰囲気にぴったりと融け合う。
彼らは、何か目新しい素敵な眺めに出会うか、森や野原で物珍しものを見つけてじっと関心して眺めている時以外は、絶えず喋り続け、笑いこけている。」
 
プロシャのオイレンブルク使節団(遠征報告書)
「どうみても彼らは、健康で幸福な民族であり、外国人などいなくてもよいのかもしれない」
 
オズボーン
「不機嫌でむっつりした顔には、ひとつとして出会わなかった」
 
ボーヴォーワル
「この民族は、笑い上戸で、心の底まで陽気である」
「日本人ほど愉快になりやすい人種は殆どあるまい」
 
といった内容を書き残しています。
 
どれも、当時の日本人が、
 幸せそうな表情をしていた
と記述しています。
 
そしてまた、
 陽気な人々である
と書き残しています。
 
一部のマスコミの影響なのか、
 明治維新までは、暗い世相だった
と思っている人もいるかもしれませんが、実際は、その真逆だったわけです。
 
では、当時、貧しい人はいなかったのでしょうか?
来日した彼らは、そのことにも、触れています。
 
B.H.チェンバレン
 「日本には貧乏人はいるけれど、貧困は存在しない」
 
ジョルジュ・ブスケ
「日本人の生活はシンプルだから貧しい者はいっぱいいるが、そこには悲惨というものはない」
 
なんだか、すごく、
 名言
のような気がします。
 
つまり、物質的な豊かさがなくても、幸せに暮らしていたということです。
そもそも、そのようなものは、強く求めていなかったのではないでしょうか。
 
では、当時の他の国との比較では、どうだったのでしょうか。
 
カッティンディーケ(長崎に滞在中、所用で上海に訪れた際の感想。)
「私は、シナ滞在中でも、ああ日本は聖なる国だと幾たび思ったことか。日本は、国も住民もシナに比べればどんなによいか知れない。」
 
ボーボワァル伯爵
「ああ、あのような不潔、下品なあの中国は、「死の平原」だったのである。」
 
オリファント
「われわれはシナで1年を過ごしたが、その王国に比べれば、すべて日本のほうが優っていた。」
 
モラエス
「シナ似長らく住んで、その背景の単調、その沿岸の不毛、ピエル・ロティーが「黄色の地獄」と言った、ヨーロッパ人がひどく厭う恐ろしい醜い人間の群れが、汚い暮らしをしているあのシナの部落の不潔を見慣れた者にとって、この日本との対照はまったく驚異に値するものだった。」
 
さんざんな書かれようですね。
この記述を見る限り、当時のチャイナが、かなり悲惨な状態だったことがわかります。
よく、テレビ番組や、〇〇新聞などで、
 「〇〇は、中国から伝わった」
ということを差し込んできますが、本当にそうだったのか、疑わしく感じてしまいますね。
 

さいごに、



幕末にペリーが黒船で来て、当時の人は、びっくりしたわけですが、じつは、その当時においても、当時の国内の知識人は、
 かなり海外の情報を入手
しており、
 国内には蒸気機関や、最新の武器は無いものの、決して、文化度が低いわけではない
ということを認識していたようです。
 
また、幕末の松代藩出身の思想家・佐久間象山には、こんな逸話もあります。
 
翌嘉永7(1854)年、ペリーが再び黒船艦隊を率いて来航し、横浜に上陸した際、松代藩の陣営の前を通りかかったおりに、
 象山がペリーを凝視
したので、
 思わずペリーは象山に会釈した
と伝わっています。
その際、ペリーは、「あの人物の発する気に圧倒されたのだ」とつぶやいたとの話しもあります。
 
ペリーは、単に、象山に睨まれて怖かっただけなのかもしれませんが、迫力がすごかったのでのでしょう。
ペリーも、相当、傲慢な人だったようですが、格の違いといったところでしょうか。
 
昨今の、
 盲目的にグローバリズムを主張する人たち
に比べると、よほど、幕末の人物のほうが、
 人格もさることながら、情勢の判断力や、見識も高かった
と感じてしまいます。
 
また、日々を陽気に暮らす為には、少なくとも、
 テレビの、「ネガティブな報道を暗い口調で報道」するニュース番組やワイドショーなど
は見ないほうがいいです。
気分が悪くなりますからね。
ニュースは、ネットで、厳選した情報をチェックしたほうが、バイアス(かたより)がないですし、効率的ですね。
 
以上、「幕末に来日した外国人がみた、「幸福な日本人」」についての記載でした。
 
 

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千葉県在住。
時事的なことなどをいろいろ書いています。
わかりやすい文章を心がけています (^^♪

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