メイン画像

1998年1月21日 「音楽ユニット「Kiroro」がメジャーデビュー」

1998年1月21日 「音楽ユニット「Kiroro」がメジャーデビュー」


1998年1月21日、日本の音楽シーンに革命を巻き起こす出来事が起きました。それは、沖縄県出身の女性二人組音楽ユニット「Kiroro(キロロ)」が、感動的なメジャーデビューを果たした瞬間でした。このユニットは、所属事務所がビクターミュージックアーツで、レコード会社はJVCケンウッド・ビクターエンタテインメントでした。


Kiroroのメンバーは、共に沖縄県中頭郡読谷村出身の玉城千春(たましろ ちはる)と金城綾乃(きんじょう あやの)です。玉城は1977年4月17日生まれ(46歳、A型)、コーラスとボーカルを担当しています。金城は1977年8月15日生まれ(46歳、AB型)、ピアノを担当しています。


彼らの音楽の旅が始まったのは1995年。沖縄県立読谷高等学校で同級生だった玉城と金城は、放課後の音楽室での出会いがユニット結成のきっかけでした。玉城がオリジナル曲をア・カペラで歌っていたところに、金城が伴奏をつけて楽しんでいたという光景が、Kiroroの誕生の背後に潜んでいました。


グループ名「Kiroro」の由来は、玉城が小学生の頃に地域交流で北海道池田町を訪れ、アイヌ語の「kiroru(人間が踏み固めた広い路)」「kiroro-an(強い・健やか・盛ん・大きい・かたくな)」という言葉に触れ、その響きと意味に魅了されたことにあります。


玉城は長崎ウエスレヤン短期大学に進学し、金城は医療事務の専門学校に進学しながらも、1996年にはインディーズ・デビューを果たしました。インディーズデビュー曲「長い間」は、地元沖縄のローカルCMにも使用され、県内で1万枚以上の売上を記録しました。


楽曲制作においては、主にボーカルの玉城が作詞・作曲を手がけました。玉城は音楽の才能に溢れていたが、ピアノの腕前はあまり高くなく、作曲した音符は暗号のような状態でした。そこで、ピアノが得意な金城が、玉城の「暗号」を解読する形で協力し、活動を開始しました。


ユニットは着実に成功を重ね、1998年1月21日にシングル「長い間」でメジャーデビューを果たしました。同年には第36回ゴールデン・アロー賞音楽新人賞を受賞し、翌年からはNHK紅白歌合戦に3回も出場するなど、その後も輝かしい音楽キャリアを築いていきました。


アカウントを作成 して、もっと沢山の記事を読みませんか?


この記事が気に入ったら 🕛 𝕋𝕚𝕞𝕖𝕋𝕣𝕒𝕧𝕖𝕝𝕖𝕣 @つよし さんを応援しませんか?
メッセージを添えてチップを送ることができます。


この記事にコメントをしてみませんか?


「初心忘れるべからず」
今の自分は過去の自分の産物
世界の未来を見据えながら
過去に起きた「今日の出来事」
をお伝えします 🌎

おすすめの記事