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【#3】ネット上のコメント欄を見て抱くこの感情とは

【#3】ネット上のコメント欄を見て抱くこの感情とは


僕がよく目にするコメント欄はYouTubeのコメント欄である。この動画に対してどんな感想があるのか、自分と同じ感想の人がいるかなど気になって見てしまう。そこには「〇〇が良かった!」「〇〇が好きです」などの感想が書かれている。特にMV(ミュージック・ビデオ)のコメント欄には色んな解釈があって気付かなかったことに気付かされることがあって面白い。

そんなコメント欄を見ていて気になることがある。コメント欄で罵り合ったり誹謗中傷したりする人もいて問題ではあるが、僕が気になったのはそういったコメントではない。僕が気になったのは、純粋な感想とは違う他の視聴者からの評価を気にしているかのようなコメントだ。つまり、いいね👍を稼ぐことを重視した「私はこんなことにも気付きましたよ」アピールをしているかのようなコメントだ。

なぜ僕はこのようなコメントが気になるのか。そこにはある種の自己中心的な考えが僕の中にあるからではないか。「自分の方が正しいんだ」「自分の方が知っているんだ」といったように自己中心的な考えに陥っているのかもしれない。いや、コメントした人に対してマウントをとりたい自分がいるのかもしれない。そんな風に感じた。

コメントした人は純粋に気付いたことを書いているのかもしれないが、そのコメントに対して僕の中の自己中心的な僕が反応したわけだ。そして、僕が勝手にそのコメントをいいね👍を稼ごうとしてアピールしているコメントだと決めつけているのだ。更には、心の中ではあるがマウントをとろうとしているのだ。そもそも、そのコメントは純粋に感想を書いただけかもしれないのに。

コメント欄には様々な人の感情が渦巻いている。それに対して共感する人もいれば反論する人もいる。その中には、コメントした人を煽ったりマウントをとろうとしたりする人がいる。それを見て僕は自分はこんなことしない人だと思っていた。でも、YouTubeのコメント欄を見てコメントはしないものの似たような感情を抱いていることに気付いた。例え自分がコメントしなくても自分も同じ様な感情を抱いたそのうちの一人なのだ。

コメント欄は映し鏡である。

あとがき
僕は基本的にコメントすることはなく人のコメントを眺めている。そこで思ったことを書いてみた。色々思うのは僕も同じであるが、その感情の正体は何かわからなかった。このエッセイを書きながらその正体に気付けた。エッセイを書くことで普段は明確にしない思いが明確になっていくので新たな発見があっていいなと思った。

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【ナノナシア〜名のない国の住人のお話〜】
ナノナシアの住人、私ネモが頭の中で考えているあれこれを言語化していきます。
2022.5.5~

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