クリエイティブな人になるには? 余白がもたらす無限の可能性のお話
クリエイティブな人になるには? 余白がもたらす無限の可能性のお話
日々に余裕がなかったり、あまりにも予定が多すぎるとクリエイティブな人間にはなれないのではないか、
と思う。
確かに日々のタスクをこなすことは重要やし、やらないといけないこともたくさんあるだろう。
でも、そこには自分の好きなことに没頭する時間や、何もない余白の時間が存在していないことになるから、
「次第に、クリエイティブな人間からは遠ざかっていくのではないか」と感じるんよね。
僕の経験から考えてみても色々とタスクを詰め込み、次はこれをやってその次はこれをやるというように無駄なく動いた日は、確かに充実感はあるけど、クリエイティブなアイディアは生まれにくい。
逆にそこまで予定を詰め込まず、
ぼーっとしたり好きなこととひたすら向き合っている時間が多い日の方が、アイディアが降ってくる。
まあこれは人によるやろうけど、過密なスケジュールで過ごしていて、
天才的なアイディアを生み出し続けられる人は少数だと思う。
古代の哲学者たちも、雑に言えば暇人たちが多かった。
身の回りのことは奴隷にやらせて、自分たちは興味のあることをひたすら考え続け、有意義な時間を過ごしていた人が多い。その結果、偉大な理論や原則などを自分の集大成として確立することができた。
これがもし現代人のようにやることに追われ、日々にゆとりや余白がなかったとすれば、こんなことを考える暇もなかっただろう。
別に考えなくても生きられるんやし、それを知っても人生への直接的な影響はないはず。
だが、一般人が興味を持たないことや見向きもしないことに向き合うことで、
今まで見えなかった世界が突如として姿を現す。
この境地にたどり着き、その存在に気づける人こそがクリエイティブな人と呼ばれるのではないか。
そして、このクリエイティブを生み出す要因になっているのが、余白というものやと思う。
この余白というものが、自分の中に存在している
『曖昧でぼやっとしている領域』
に連れて行ってくれる。
余裕がなければ、そんな無駄なことを考える理由がないために、優先順位の高いもので上書きされ、奥底へと沈んでいく。この自分の中にある『曖昧でぼやっとしている領域』の物事について、
どれだけ時間をかけて思考できたかが、人間の深みや幅を決める要因の1つになっているんじゃないか、
と感じるわけだ。
絵画や音楽なども、本来は一般人が見たり聞いたりすることのできない領域からアイディアを引っ張ってきて、それを1つの形にしている。
そこにすごさや面白みと感じるのは、自分たちではそれを表現できないからだろう。
「これなら自分でも作れそうだ」みたいなことが頭をよぎれば、
別にお金を払って美術館やライブになどいったりしない。
芸術作品は余白がもたらした、1つの結晶なんやから。
僕たちでは到達できないステージの入場料として、お金を払っているわけやね。
別にクリエイティブに興味がない人はそのままでもいいと思うけど、
情報発信者や自分で何かを作り上げていくという人は、この余白をどこかに作って他の人が触れないような領域に立ち入ってみることが大切やと思う。
そこで色々考え悩み、そして葛藤する中で自分に新しい視点が追加されていく。
この視点の数をいくら持っているかが、「何を言ってるか」から「誰が言うか」へ移行するための鍵となるからね。
なので、
「みんなと同じようなことしか思い浮かばない」
「アイディアにユニークさがない」
と感じるならば、全然違うことに触れてみて異次元を体験すること。
そして、自分の世界を未知の領域へと拡張していけば、
今まで見えなかったものが徐々に見えてくる。そのためにはまずは余白を作ることが大事、というお話でした。
ということで今日はこの辺で。ではまた。
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