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平匡の去勢が気になる――『逃げるは恥だが役に立つ』批評

平匡の去勢が気になる――『逃げるは恥だが役に立つ』批評


80点
 
2016年に放送されたTBSドラマです。
全11話を通しで見たのは初です。
リアルタイムでは序盤の第1話か第2話あたりを見逃し、
その後の再放送で、見逃していた序盤だけ見たという記憶があります。
 
脚本を担当した野木亜紀子にとっては出世作ということになります。
脚本が野木亜紀子、主演が新垣結衣という組み合わせは
『空飛ぶ広報室』、『掟上今日子の備忘録』に続いて3作目。
さらに逃げ恥のあと『獣になれない私たち』もこの組み合わせなので
合計4作。
 
演出は金子文紀や土井裕泰といった手堅い布陣。
ギャラクシー賞をはじめとしてあらゆる賞を受賞しました。
 
 
テレビドラマ評論家の成馬零一の、本作に対する批評。
 
『逃げるは恥だが役に立つ』論(前編) 原作モノの名手・野木亜紀子は『逃げ恥』をいかに読み解いたのか。
 
『逃げるは恥だが役に立つ』論(後編)『逃げ恥』が描く「男らしさ」の罠と、星野源について
 
こちらは宇野常寛との対談。
 
『逃げるは恥だが役に立つ』――なぜ『逃げ恥』は視聴者にあれほど刺さったのか?そのクレバーさを読み解く(成馬零一×宇野常寛)
 
 
 
改めて通しで見てみて。
いや、かなりおもしろいんですよ。そんじょそこらのラブコメより。
無駄がないし。根本的には社会派だから
ただただ視聴者をキュンとさせることだけを目的としたラブコメより
よっぽどシリアスとコメディーのバランスがいいし、
新しい夫婦像を描こうとする野心も評価できます。
 
ただどうしても引っかかるのは、平匡を去勢しすぎじゃね、ということ。
少女漫画原作であることを差し引いても
非モテ男子はもっと醜くてどろどろとしたものを抱えてるもんだろ、
と思ってしまいます。
これは『アンナチュラル』の久部六郎に対しても同じことを思いました。
原作ものじゃない『アンナチュラル』でもそうだとすると
これは野木亜紀子の作家性(引き出しのなさ?)の問題のようです。
平匡にしても久部六郎にしても、悪い意味で女性作家が描く男性キャラクターという感じがするんですよね。
そこにリアリティーのなさを感じてしまいます。
上記批評の中で成馬零一も
「男から見るとドロドロとした醜い自意識の象徴とも言える童貞性を“かわいいもの”として捉え直すことで美徳として読みかえていこうという流れが女性作家の間にあるのかもしれない。正直言うと、こういった、かわいいものとして処理してしまう視線に対しては違和感はあり、何か大事なことが抜け落ちている気がしないでもない」
と言っていて、男性視聴者にはなんとなく伝わっていることがわかります。
もしくは、ある種のハーレクイン・ロマンスのような感覚で
意図的に見ないふりをしているのか。
 
ちなみにこのドラマで一番笑ったのは、富田靖子の田原総一朗ものまねです。
 

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ポップカルチャー評論家
専門分野は映画、ドラマ、小説、アニメ
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