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母の日に想うこと

母の日に想うこと


毎年5月にやってくる母の日。
今現在、私は母ではない。そして声に出してお母さんと呼ぶ人もいない。
ただ、1年に一度、改めて「母」の文字を多く目にするこの時期には
母にはもちろんのこと、父も含めて両親には色々と思うこともあります。
今日はそれをここに書き留めておきたいと思います。

子供の頃は…

私は両親と一緒に過ごした時間が少ない。
私が子供の頃は、父が仕事の関係で海外にいることが多く、
子供のお世話をはじめとした家庭でのことはほぼ母がやっているという環境で育った。

生まれた時は小さくて、身体が弱かった私。
記憶があるだけでも病院に数多く通った。
記憶はないけど、2回ほど命の危機もあったらしい。
そんな中で母は不安と葛藤を抱えながらも
私を育ててくれたと思う。

父が働き、母が子供のお世話をする。
そういう家庭は世の中にはたくさんあると思うので
私の子供の頃の家庭環境が特別なものだとは思っていない。

ただ大人になった今思うことは、
「母親」というのは大変なんだろうと思う。

血の繋がりのはあるとはいえ、そして自分の子どもとはいえ
「1人の人間」
大きくなるにつれて個の考え方が出てくる。
それが親子であっても同じとは限らない。

そう、私にも「反抗期」というものがあって
喧嘩をしたことも数多くある。
おとなしく親のいう事を聞くほうではなかったかなと今振り返ってみて思う。

いろんなことがあった幼少期だけど、
大人になるまで育っていろいろな経験ができているのは、
そして今こうしてここにいられるのは
すべて両親のおかげだと感謝している。

大人になってからは…

子供の頃は割と厳しい家庭だったと思う。
帰宅時間はもちろん、お茶碗の持ち方だったりも
時々一緒に食事をする父にも注意されたことも数多くあって
それを時には疎ましく思うこともあった。

ただ、学生を卒業して社会人になってからは違った。

あれだけ厳しく細かいことを言っていた両親が、何も言わなくなった。

社会人になってからの私は実家を離れたこともあって、
全てが自由になった、とその当時は思った。
家に帰ってもうるさいことを言う人がいない。
そして連絡もほぼしてこない両親。

今になって気づいたけど
それはきっと両親にとっての私に対する
「こども」と「おとな」の境界線だったんだと思う。

こどもの頃も、そしておとなになってからも
会う機会があれば記念日にはプレゼントをしてきた。

こどもの頃は、もちろんお金をかけたものはプレゼントできない。
だから絵を描いたり折り紙で何かを作ったりだったけど
少しずつおとなになってくるとアルバイトをして貯めたお金で買ったものをプレゼントするようになった。

私がプレゼントしたものは、たとえどんなものだったとしても嬉しそうに受け取ってくれる。
それが私の父と母。

今は母の日にプレゼントを渡す人はいないけど
それでも毎年、この日には改めての感謝の気持ちを想う。

「お母さん、いつもありがとう」


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