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【超閲覧注意】ばあちゃんの話

【超閲覧注意】ばあちゃんの話




特に繊細さんはちょっと今回見ない方がいいかも。
今回はオリジナルイラストもないからね💦
(なんか全然描けなかったの(´;ω;`)ウゥゥ)

もし読んじゃても
いや、もう本当無理!っておなか一杯になったら離脱してね。

バッチコイ!!!!って方。
見てやってもいいぜって方は読んでくれたら嬉しいです。

ではスタート。







6月6日は
ばあちゃんの誕生日なんだ。

大好きなんだ。

今でも。

死に目に会えなかった。

知らされなかったんだ。

会いたかったし、会いたいと思う。

私はどうやら大切な人の死に目に会えないらしい。

4人目だ。

じいちゃんの時もそうだった。

でもばあちゃんの時よりは良かった。

じいちゃんの時には葬式で会えたからね。

式場の霊安室っていうの?
一晩中じいちゃんの傍にいられた。

じいちゃんの話までしちゃうと
とんでもねぇ長くなっちゃうから今日はやめとく。

ばあちゃんの日だから。

私は中1の時に親が出ていったんだ。

だからその時から家に1人になった。
(このことについては今は気持ちもわかるし、仕方なかったんだねとも思うし、この件があったから今の私があるので恨んではいない。そして今日はひとまず横に置いておこう。)

1人って言っても敷地内にはばあちゃんちがあったんだ。

実家の隣に。

それまでは毎日のように行ってたんだよね。


でも、行けなかったんだ。

私には年の離れたいとこがいてね

うちの母親と仲が悪かった。

私に対して何かしてくるってことはなかったんだけど

母親のお姉さん、つまり私のおばだね。

その人はじいちゃんとばあちゃんの家にいとこを捨ててったんだよね。

だからじいちゃんとばあちゃんが育てたんだよ。

そのいとこは赤ちゃんだったから
当時中学生だったうちの母親も色々お手伝いしていたようだけどね。

きっといとこは
私と自分を重ねていたんだろうと思う。

今思うとね。

そりゃそうだろう。

いとこは隣に住んで色々見ていたからね。

私が自分で命を絶とうとした時のこともそうだし
(まぁ結局死なずにこうしていられることに今はスッゴイ感謝しかない。)

私が心臓発作を起こしてるのに近所で茶しばいてて放っておく母だ。

自分の母親へ対する憎しみや、悔しさ、色んな感情を私の母にも重ねていたんだろう。

いとこなりに自分の母親への想いっていうのを一生懸命消化しようとしていたんだと思うんだ。

だって普通にばあちゃんちに来るからね。
叔母。

再婚相手と。

だからかな。
ばあちゃんに私の事をあまり来させるなと言っていた。

それを聞いたから行けなかったんだ。

だからほぼ給食で生きてたんだ。

ばあちゃんは敷地内で畑をやってて。

実がなる木もたくさんあって。

花もたくさん植えていた。

だからばあちゃんとは庭や裏庭など外にいるときに会えた。

それでも学校から帰る頃には庭では会えないからね。

ほら、そういうのは昼間やるから。

でも運がいい日には
ばあちゃんが物置にいてね
(自宅の1階が全部物置だった。)
そこでも蘭とか育ててたから会えることもあった。

そんな時はいつも
「えり、なんか食うか?」と言ってくれる。

1日1食で慣れてるし
ぶっちゃけ、食べ物なんてどうでもよくて。

そう言ってくれることが嬉しかったんだ。

だから2階に上がって一緒に食べる。

ばあちゃんは私がバナナが大好きだと思ってるんだ。

いや、実際大好きだった。

小さいころはね。

それを知ってるから、じいちゃんもばあちゃんもいっつも

「えり、バナナあるぞ」

っていう。


じいちゃんは死んでしまったけど
ばあちゃんは言い続けていた。

だから毎日のように食べていたら飽きちゃって(笑)

でも、私は
「もう好きじゃないんだよ」とは言えなかったんだ。

だからほぼ毎回「バナナ食うか?」がスタート。

そしてばあちゃんが作ってくれるものは独特だ。

焼きそうめんとか、汁ものなんかも、これ入れるんだってのも入ってたり。

混ぜご飯もこれ何?ってのが入ってたり。

美味しかったけどね。

たまに不思議な味のものもあったよ。←

でもばあちゃんの料理が大好きだった。

私にとってはばあちゃんの味がおふくろの味かもしれない。

いとこは在宅で仕事をしていたから
毎度ビクビクしていた。

それでもどうしても孤独に耐えられない時には
おばあちゃんの家に行った。

ばあちゃんの話はいつも同じだ。

戦争の時の話。

若かった時の話。

じいちゃんの話。

娘たち(母と叔母)の話。

あとは2人でテレビ見て帰る。

泊まるなんてのは絶対できない。

「泊めてやれねえんだ」と言われていたからだ。

実際仕方がない事だった。

いとこに病院に連れてってもらったり
買い物に連れてってもらえなかったら
ばあちゃんも生活ができないから。

「いいよ。大丈夫。じゃあね。」

と言って実家に帰る。

孤独との戦い。

そんな生活だった。



友達らしい友達なんてできなかった。

それというのも
うちの親は2度結婚してるんだけど
小学生の時に親が再婚して一度実家を離れることになり転校したの。

子どもも2人いるんだぞ!(私と姉)って
再婚に反対していたじいちゃんに勘当されたからね。

で、出てったんだけど、1年後に戻ったんだよ。

閉鎖底な地域だったから
噂なんてすぐ広まる。


転校先でよくある【転入生への洗礼】は受けた。

親が再婚したことにより名字が変わった。

せめて学年が変わってから引っ越してくれたら良かったんだけど
そうではなかったので、教科書に書いてある名前と違うわけだ。

そりゃあもう格好の餌ですよ。



下校の時「顔貸しな!」
(すみません盛りました。本当は「ちょっと来てくれない?」です。)

と近くあるマンションのエントランスで4人に囲まれた。

俗にいうリンチである。

が、しかし彼女たちにとって想定外だったのは私がでかくて力が強かったこと。

親族皆小柄なのになぜか私だけジャンボで「あんたは橋の下で拾ってきたんだよ」と言われた時、真面目にこのうちの子じゃないと思ったこともある。

背の順はいつも後ろ。
頭1つ飛び抜けていた。

前ならえで1番前の人がやるポーズみたいのに憧れた。





もみくちゃになったけど
ボス的存在のやつのランドセルを引きちぎってしまった。

親から怒られることを気にしたのか「どーすんだよ!」ってキレ散らかして帰ってった。



帰宅後母親にそのことを伝えたが「あんたがなんかしたんじゃないの?」と言われた。

それ以来母親には何を言っても意味ないんだな。と何も言わなくなった。




次の日に「やるじゃんコイツ。」みたいになったらしく、皆が謝ってくれて。
それから仲良しになったんだよ。

とりあえず謝ってくれたし、友達ができて嬉しかったからケンカの件はどうでもよかった。


別に悪い子たちではなかった
普通にお絵かきしたり、駄菓子屋でお菓子食べたり、校庭で遊んだりしてた。


だからその間
家庭内では半端ない感じだったけど、学校は楽しかったんだ。


なのにまた転校になった。

何で戻ったのかは知らない。

1年で元の学校に戻るとか地獄かよって思った。

戻った後はもう悲惨だったな。



距離を置かれた。

転校前に仲良くしてくれていた子もだ。

親から聞いたんだろう。
色々と。

勇気を振り絞って遊ぼうって誘ったこともあった。

「本当は遊びたいけどお母さんに遊ぶなって言われてるのごめんね」

と言われた。

子どもとは残酷である。

いや、それ言わなくてよくね?
と今なら思うけど(笑)

子どもってそうゆうものだからね。

それでもこそッと遊んでくれた子たちもいた。

遊んでくれるのが嬉しかったけど
この子も親に言われているのかもしれない。

と思うようになった。

そのうちその子たちが気の毒になっていった。

親からダメって言われているのに悪い事をさせている。

だってうちでは見付かったら殴られる。

その頃は他の家もそうなんだろうと思っていた。

だからあまり遊びに行かなくなった。

皆の親(大人の目)が怖かったし。

そんな状態だって親の悪口は聞きたくなかったし。

だから学校終わったら即帰宅して家にいた。

親戚の家が近くにあったから、ゲームしに行ったっけ。

あとは事情を知らないであろう近所じゃない子と遊んでたな。
(でも内心しっているのかもしれない。とビクビクしていたな)


そんなだったから。
友達らしい友達なんていなかったんだ。




私はばあちゃんに対して後悔していることが3つある。



ひとつめが

夜友達と出歩くようになったアテクシ。
想像がつく人もいるだろうが親が出て行ってしばらくしたら私はグレ始めた。

そんな中ばあちゃんと1回だけすごくケンカしたことがある。

いや、ケンカじゃない。

私が反発しただけ。

夜20:00くらいだったかな。
ばあちゃんちで友達と電話していて遊びに行く約束をした。

電話を切った後ばあちゃんは反対した。

「こんな夜遅く行くな。あぶねぇ」

「うるさいな。関係ないでしょ。」

今思うと家に帰りたくなかったんだよね。
1人で寂しいから。

ばあちゃんは引かなかった。

腕をつかんできた。

私は振り払って遊びに行った。

そのあとのばあちゃんの気持ちを思うといたたまれない。

抱きついてごめんねと言いたかった。


ふたつ2つ目は

子どもを会わせられなかったこと。

私は地元を離れた。

私が出て行ったあとどうやら遺産相続でもめたらしい。

それはそれはもの凄く。

母親は私が小学生のうちに再婚相手と離婚していて私が19歳の頃からは実家にいたんだけど。

スッゴイ揉めてるから

「帰ってくるな」と言われた。

ばあちゃんに会いたいのに…

母親の言う事はまるで呪縛だ。

母親の言う事は絶対。

アルツハイマーも始まっていたからか
「ひどい言葉を子どもに言うかもしれないぞ」とも言われた。

だから子供が生まれても見せに行けなかった。

今だったらそんなん無視して行ってただろうが、本当に言う事をきいてしまうんだよ。

でも親のせいではないと今は思うよ。

それで行かないと決断したのは自分だからね。


そして3つ目。

まさに最後は会いに行かなかったこと。


ばあちゃんが死んだことすら知らされなかった。

母親からも何も言ってこないし、いとこの愚痴を聞かされるだけだった。

「ばあちゃんは?と聞いてもわからない」と言われた。


そして数年後。

「実は言っていないことがある。今なら言えると思うから」

とばあちゃんが死んでいたことを聞かされた。

母さえも知らなかった。

近所の人も親戚も。

いとこを除いては。


いとこと母の関係はもう修復できるものではなかった。


実家を追い出された母はもう何も知る事ができなかったんだ。


「お母さんも知らなかった」と。


近所でも心配されていたらしい。

親戚がお墓参りに行って初めてそこで名前が刻まれていて知ったんだって。

まぁこの辺になってくるともう皆さんお腹いっぱいだろうから詳しく書かないけど。
(書けるようなもんじゃないとも思う)


まぁ、もう怒り、悲しみ、くやしさ、もうすべての負の感情が入り交じり頭がパニックでした。
(怒りについては、自分への怒りも含めてです)
これについても今はもう消化できましたが。

だから死んだって言われても現実味がない。

お墓参りも行ったけど、名前が書いてあるだけだから。

亡骸を見てないから。

それから色んな学びを深めた私。

自分の死。
人の死。

【命】に向き合ってきた。

「死」に対しての概念がガラッと変わった。

だから実際会えないのが寂しいなとは思うけど、生きていてもなかなか会えない人っているじゃない。
その人たちと同じ感じ。

繋がってるって思う。

だから


私は幸せでいよう。
ばあちゃんが心配しないように
笑顔で暮らそう。
ばあちゃんが笑っていられるように

それだけ。


うちの家系は不思議な力が
ちょっとある。


生きている頃に生霊を飛ばすくらいのばあちゃんだからきっと私の傍にいてくれてるだろう。




さて、トイレ掃除するかな。
トイレの掃除の仕方やトイレの神様がいるとかは教わってないけどね(笑)

最後まで読んでくださった方へ。

このようなダークネス一直線&私の想いを書きなぐったブログを読んでくれてありがとうございました。

心から感謝いたします🌸

最後に知っている方も知らない方も

「トイレの神様」聞いみてください。
(私はこれを泣かずに聴けることがないwましてやカラオケでなんて歌えねぇです)

https://www.youtube.com/watch?v=Z2VoEN1iooE


そして
実際に会えるうちに、会いたい人には会いに行ってください。

私からのお願いです。



↑これ、バナナの花(ง ˙ω˙)ว✨

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