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<英語は英語で考えよ>と気楽に言うけれど...。

<英語は英語で考えよ>と気楽に言うけれど...。


<英語は英語で考えよ>と気楽に言うけれど...。

それが簡単にできるんなら、英語産業が常時大流行りにもかかわらず英語難民が一向に減らないのはなぜ...?

以下の図をご覧ください。図の左側はバイリンガルの脳内、右側はモノリンガルの脳内を表しているものとします。
<http://raspberries.jp/OS.png>

あくまでも比喩ですが、日英のバイリンガルの場合、いわば日本語OSと英語OSとOSが2つインストールされている、と考えることができそうです。話を簡略化して、完璧なバイリンガルの場合は「状況に応じて<既にしっかりとインストール済みの>両OSを他でもなく<切り替える>」だけで済みます。そして、両者間の言語干渉は<ない>か<問題にならない程度>、と言えそうです。かつ、(どんな話者にとっても)基本的に母語OSは本来<ブラックボックス>であって、<意識化>が困難でしょう。<意識化>が困難であるが故に、逆説的に半ば<無意識のうちに>切り替えができてしまう。

次に右側。典型的な日本人の場合。母語の日本語OSは「<既にしっかりとインストール済み>」であるため、学習対象言語である英語OSは、「<既にしっかりとインストール済み>」である日本語OSによる強力な<言語干渉>に絶えずさらされることになる。しかも、対象言語たる英語OSはあたかも<ブラックボックスでないかのように><明示的に>教わることが多いのに対し、日本語OSは半ば<無意識に作動してしまう>知識と言えます。(例:図示の如く、<英語は英語で考える>という大義名分にもかかわらず、「Where am I?」と言うべき場面で、日本語OSの「ここどこ?」に<無意識に><干渉>され、「Where is this place?」と言ってしまう。)

ここでは、半ば<無意識裡に>という点が極めて重要になると思われます。つまり、バイリンガルは<無意識裡に>造作なく<切り替えができてしまう>が、それができないモノリンガルの苦悩を実はそれほど深刻には理解できていない人が多い。モノリンガルはモノリンガルで、半ば<無意識裡に><言語干渉>が強力に作動しているということ自体がそれほどピンとはきていない。(なお、バイリンガルの場合であっても、第3の言語OSを学習する状況になった場合は、その点に関しては基本的に<右側の図式>と同様となります。)

では、モノリンガル話者はどうすればいいのか?私見では、<ほとんど意識下の><言語干渉>がどれほど<強力なもの>であるかという点をまずはしっかりと認識する、ということが大事と考えます。その認識とは、とりもなおさず、日英彼我の<文法><発音>に加え<発想や語彙やコロケーション>の違いを可能な限り<意識的に学ぶ>ということになると思います。基本的にそのことを通じて、両OSのインストールの度合いが徐々にしっかりとしたものになってゆくものと考えます。そして、そうした堅固な土台の上に立って初めて<英語は英語で考える>ということが、ある程度実質的に可能になるのだと考えます。一言で述べると、(両OSのインストールの確かさの度合いの違いを考慮するなら)原則、英語「で」考えるには、英語「を」学ぶ段階がしかるべく確保されている必要がある、ということです。(もちろん現実には、この作業は時間的に交互に行われていくべきものでしょうが。)

以上のことを斟酌せずに、会話における「瞬発力」の育成、「日本語迂回回路に慣れてしまうことの危険性」という点を必要以上に強調するのも、ちょっと違うかな、と思います。

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