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文章の可能性と自己紹介

文章の可能性と自己紹介


最近Twitterのタイムラインで、こちらで記事を書いている方が多いので、一度記事を作成してみようかと思い登録しました。

こちらの「TOP VIEWさん」は割と新しい媒体なのかな?
本当、最近よく目にするので、これからも長く愛されるサービスになってくれればいいなと思ってます。

僕はこういうサービスに登録すると、いつも「どの文体」を使えばいいのか迷ってしまう。
例えば「綺麗にまとめる」
もしくは「フランク」に書く。
いろいろな文章アプローチみたいなものが世界には存在すると思うんですけど、ここでは、割と何も考えずにキーボードで指を踊らせ、文章をこのネット世界に「存在のある形」として残したいと思います。

そう考えると「文章」と言うのは不思議なもので「あ」「い」「う」「え」「お」とそれぞれの文字を「単体」として見つめると、それはただの「一文字」以上の意味を持つことはない。
いや、この言い方には少々語弊がある。
「漢字」はそれ「一文字」にそれぞれ「意味がある」
だが、そうだとしても、漢字一文字では、それはやはり「表現」に限界が生ずる。

しかしそれらを組み合わせることで、我々は「無限」の表現の方法を手に入れることができるのだから、「文章」には、それはそれは「宇宙」のような可能性があるわけだ。
けれども、それも我々のもしかしたら思い過ごしなのかも知れない。
結局のところ、我々の描ける文章の表現は、我々が体験する以上の表現にはなり得ない。
僕の思い描く「宇宙の表現」と、ガガーリンの描く「宇宙表現」では、やはり大きな差が生じてしまうし、そもそも説得力が全く異なるのだ。

そう考えると、文章に「無限」の表現、その可能性を無自覚に期待するのは、非常に危険なことなのかも知れない。
あるいは、そもそも「無限」の可能性なんていうのは、やはり我々の思い過ごしなのかも知れない。

これは言い訳ではないが、これから僕がこの「TOP VIEW」で何かしらの文章をコンテンツとして出したとしても、それには「僕という」フィルターを通じてのものだからこその「限界」がある。
そのことを皆さんには十二分にご留意いただきたい。

そして、これはいらぬお節介かも知れないが、他人の文章を読んで、それがいかに優れていると感じても、それを無自覚に受け取るのは危険なのだということを、皆さんには忠告したいと思う。

そういうある種の平坦な精神で、こちらのサービスに向き合っていくのが、心理的バランスを保つ上で一番大切なんだろうと僕は思っている。


さてここまで読んだ皆さんは、おそらくこの先も読んでくれると期待しいるが、ここから先はこの世で一番つまらない「自己紹介」というヤツをここから書いていきたいと思う。
だから読まなくてもいいし、読んでくれても構わない。

読まないという選択であなたは「時間」という「尊い」ものを手にすることができる。
読むという選択であなたは「無駄」とう、これはこれで「尊い」と思われるものを手にすることができる。

しかし、あくまでこの問答は、「選択の余地」があるからこそできるのだ。
例えば学校の新学年、最初の「自己紹介」あれには「する・しない」の選択がない。
あれほど無駄なものはない。
その最初の顔合わせで、本人の言う「紹介」には(しかも強制で気乗りもしないもの)には、何の意味もなければ、必要性もないのだ。
だから僕もここではこの一言しか言うつもりはない。

「YUMAと申します」

別に覚えてもテストには出ないし、あなたの人生をより良くするものでもない。
ただ、これからこの名前の人間が書いた文章が、あなたの中で大きな存在になれば、この名前にも「大きな意味」が付いて来るのかもしれない。

ガガーリンが書いた文章のように、これを読んだ皆さんの中で、僕の文章に特別な意味があると感じる方が増えるなら、こんなに嬉しいことはない・・・。


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